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台湾企業の日本人転職〜独立へ
アジアを転々とする仕事にやりがいを感じていた櫻井さんだったが、ある出来事の後、台湾系企業の日本法人に転職をした。筆者は事の顛末を詳しく聞かせてもらったが、詳細は書かないで欲しいという希望を曲げることは出来なかった。

ご本人の了承を得て、ここまでは書けるという範囲で書こうとも思ったが、それも控えるよう強く求められた。ただ筆者が感じたのは、転職に際して好きだった仕事を変わるキッカケも、やはり正義感だったようだ。当時厳しかった部長さんだけは、今でも尊敬しているという。

そして縁があって入社した台湾企業の国内サービス拠点を任された櫻井さん、ここで部門を取りまとめる実務を身につけていった。

この時期に習得したことなど、特に何かありますか?という問いかけに、「片側からの話で判断することの危険性」「表面的な優しさは弱さであり、本当の優しさは時に厳しいこと」という難しい答えが返ってきた。

ここでふと思い出した。筆者が櫻井さんと知り合ったのは、ある記事がキッカケだった。書いている人はジャーナリストだろうと私が勝手に思いこみ、取材のお願いをした。その記事は、時事から教育、産業などに対する一貫した意見があり、ところどころにとても面白い例え話が散りばめられていた。そして取材当日、出て来てくださったのが櫻井さんだった。

「何故ジャーナリストにならなかったんですか?」と筆者が聞くと、笑いながら「文章を書くのはあくまでも日記のレベルですから」と言っていた。あれはもう8年くらい前だろうか、その頃の印象を取材ノートから掘り起こすと、筆者はやはり「多面体」とメモしていた。

独立を決意した櫻井さんは、準備期間に半年を費やし、当時在籍していた会社の経営陣に、全面的なサポートを受けたという。そして1998年、シームレスサービス株式会社を設立し、それまで在籍していた会社がお客さんになった。

ところが、当時扱っていた主幹製品が急激に変化し、その対応に会社は初動が遅れてしまった。最大時で800坪ほどを有していた会社も、大きな転換を迫られた。さらに追い討ちをかけるように、取引先の日本撤退、アフターサービス打ち切りなどが続き、坂道を転げるように会社は深い谷間に落ちていった。

「毎日どうやって仕事をしていたのか、思い出せない期間が4年ほどあります」と遠くを見るような目をした櫻井さんは、言葉には出さなかったが何かを秘めていた。

「どうやって立ち直ったんですか?」

「よく覚えていませんが、周囲の方々に恵まれたことだと思います。でもまだ立ち直っていません。これからです」

覚えていないわけはない。そこには言葉にしないだけで、壮絶な何かがあったはず。筆者はずっと昔の櫻井さんを知っているだけに、そう確信しながらも敢えてそれ以上は聞かなかった。

ここから先は後述することにしよう。
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