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アメリカ〜台湾・アジア諸国駐在員時代
アメリカで出会った先生たちにも、かなりの影響を受けたらしい。後に愛娘の名付け親にもなったある恩師は既に引退しているが、毎回出張でアメリカに行く際、櫻井さんは今でも挨拶に訪れているようだ。

滞在当時の冬期休暇、格安バスチケットを使ってアメリカ1周をした話は、筆者を楽しませてくれた。(さっき口を噤んだ同じ人とは思えなかった)夜中に着いたフロリダ州のある街で、強盗まがいの事件に遭遇。そこで何と櫻井さんは強盗と交渉し、一旦巻き上げられた金額の中から「お釣り」をもらったという。

留学に準備していたお金を使い切り、日本に帰国を決めた際、自分が生きていく土俵を意識した櫻井さん。日本に到着し、すぐに仕事を探した。縁あって入社した会社はアメリカのスポーツ用品を扱う組織。そこで台湾駐在を命じられた。

「誰の案内もなく、自力で台湾の中部、台中という町まで行きました。不安でしたね。でも何とかなるという気持ちでした」

無鉄砲なんだか怖いもの知らずなんだか、筆者が感じた36面体というイメージはこういうところにも要素がある。

台湾の中だけでも取引先の工場は最盛期で20社近くあったようだ。

「使う言葉や報告書は全て英語、だからあまり中国語は上達しませんでした」とは言うものの、インタビュー中に掛かってきた急ぎの電話で、櫻井さんの会話の中には中国語と思われる箇所がいくつも出てきた。

その後アメリカ側の方針が変わり、最初はテニスラケットを担当していた櫻井さんだが、野球グローブに部署が変更された。それに伴って、担当地域が台湾・中国から、タイ・インドネシア・フィリピンをも含むようになり、殆ど日本に落ち着くことはなかったという。

「その当時、何か印象的な経験をしましたか?」と尋ねた筆者は、実は面白い話を期待していた。ところが彼から出て来た言葉に、深く考え込んでしまった。

「日本人が海外でいかに横暴に振舞っているか、実感しました。最初は駐在した現地の人たちを受け入れるのが難しかったし、習慣の違いに眉を顰めたり、あからさまに拒絶していました。でも段々その文化が分かってくると、その人たちに接している日本人駐在員や観光客にまで、腹が立ってきました」

「例えば?」

櫻井さんの話を、差し支えない範囲でまとめてしまうと、次のようになる。

今の仕事とは全く違う製品であったが、海外の製造工場に価格を下げるよう強烈なプレッシャーをかけるバイヤー。工場側はビジネスなので、何とかそれに応えようと、部品代や材料費などを工夫する。そこには涙ぐましい努力がある。もちろん日本の製造業にもこの努力は根強く存在し、海外の企業は見習っている面も多い。バイヤー側としては、安く買うのが使命でもあるので自然なことだと理解出来る。そして双方が必死に努力して出来た製品に対し、日本の品質要求は厳しい。それが製品と製造工場を育てていく。

しかしいざ実務の場面で考えると、価格を下げるための材料選定や工程管理などで、品質面に色々と影響が出てくる。(「そこをどう調整するかが品質マンの腕の見せ所ですが」と櫻井さん)

この話のバイヤーは日本企業ではなかったようだが、品質問題を起こした製造工場を糾弾し、補償要求をして潰してしまったらしい。

「バイヤー側は、別の製造工場を探すだけ。でもその品質問題はバイヤー側にも責任が全くないとは言えなかった。このままだと、中国や台湾などの製造工場は次から次へと挿げ替えられるだけ。消費者には中国製に対する安心感を与えられない。本当に品質の良いものを、納得できる価格で提供するには、長い関係を続けてお互いが歩み寄らなければならない。片側の理論だけでもう片方が頑張っても、長期的に見たら続かない。それで最終的に困るのは消費者になる」

ここでも彼の「正義」が頭をもたげているようだ。
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